フランス ル・コルビュジエと現代建築の旅

G-3.スイス学生会館

スイス学生会館サロン

ラ・ロッシュ邸の次は14区のパリ国際大学都市(Cité Internationale Universitaire de Paris)にあるスイス学生会館とブラジル学生会館を見学します。メトロとトラム(T2)を乗り継いで、シテ・ユニヴェルシテール(Cité Universitaire )に到着しました。

1925年に設立されたパリ国際大学都市は34ヘクタールという広大な敷地を持ち、現在パリ周辺の大学等に在籍する各国の学生や研究者の為の37の寄宿舎が集合しています。

折角なのでパリ国際大学都市がどんな所か雰囲気だけでもと正門ゲートをくぐり中心部を少し散策です。ネオゴジックの様な古風な建物が目立ちます。スイス学生会館が出来た頃の航空写真が有りますが、それを見ると、古典的建物が多い中、スイス学生会館が他と全く異なる近代的建物であった事が分かります。

パリ国際大学都市の日本館

敷地の奥の方にあるスイス学生会館に向かいます。途中日本の寄宿舎、日本館の前を通ります。このお城を模した建物は日本人には好き嫌いが分かれるところでしょうが、フランスの建築家ピエール・サルドヴ(Pierre Sardou)が設計、1929年竣工という事では、そんな時代に良くここまでの建物を作ったと思いました。二度の全面改修を経ているそうですが外観に古さは感じません。日本の梁構造を反映した造りは近代建築に通じたところがあるなとも思えました。7階建で奥行もある大きな建物です。

スイス学生会館(Pavillion Suisse)  1932年

スイス学生会館にやってくるとまず共用部の建物が見えてきます。階段棟のそりかえった屋根、壁も湾曲しすごいデザインです。さらに自然石が稠密に埋め込まれたカーブした壁。住居棟は北側の廊下側からでしょうか窓は限定しきれいなコンクリート壁は正に現代建築のそれです。全体のデザインの素晴らしさに、どこを見てもこれが1932年竣工とは思えません。

更に居住棟に回り込んでいくとユニテを思い出させるような力強いピロティーが見えてきました。今朝ほど訪問した同時代のサボア邸などとは大きく異なる建築に、コルビュジエがここでどうして変わったかいろいろ解説されているところですが、私は、スイス学生会館はコルビュジエにとって初めての公共建築、当然個人邸とは異なるアプローチを考えるだろうし、それは、どんな建築でも先進性を発揮できた並外れた建築家だったからではないだろうか。今日、両方を続けて見学した私はそんな思いを強くしました。

入り口はセキュリティの為、電子鍵になっていてインターホーンで管理人に開けてもらいます。入ると右に管理人室がありそこで見学料を払いパンフレットをもらいました。このパンフレットには建物の経緯がいろいろ書いてあり参考になります。やはりスイスの人にとってはコルビジェは自分たちの偉大な人なのですね。スイスフランの紙幣の顔にもなっていた人ですから。

見学できるのはロビーと見学用の105号室です。ロビーはそんなに広くはありませんが管理人室、階段棟に向かうスロープ、見る位置を変えると面白い。そして見逃せないのはサロン。そこにある壁一面に描かれたコルビュジエの絵画は必見です。パンフレットによると、この絵は最初から描かれていたのではなく、先の大戦で被害を受けた後コルビュジエが1948年に追加で描いたそうです。その後もいろいろ手を入れている様で、生まれた国スイスの学生会館にはコルビュジエの特別な思いがあったのではないでしょうか。それにしてもこのサロンで、コルビュジエデザインの椅子に座ってスイスの学生さんはどんな時間を過ごすのでしょうか。

カーブした階段を上がり公開されている二階の105号室に向かいます。黄色いドアの中に入ると何といっても目につくのは、通常の窓の上もすりガラスが入った明るい窓際です。これについては、パンフレットによると、この南ファサードは当初全面窓だったのが、遮熱改善の為1953年に現在の様に窓を小さくしたとの事です(どうも窓下は壁にした様です)そのイメージはロビー入口周辺のガラスの壁に残っている様です。それで昔の写真をWebで探してみると確かにこの南側のファサードは全面ガラスです。まさしくサボア邸と同じく”明るい時間(Heures Claires)”ですね。1932年にこんなデザインの建物が既に存在していたとは驚きですが、あまりに先進的でこれではスイスの学生さんも落ち着いて勉強が出来なかったのかも知れませんね。

公開されている105号室(左)

廊下に何気なく置かれているソファらしき家具。 書かれている絵が面白い

ブラジル学生会館 (Masion de Brésil) 1959

次にスイス学生会館隣のノルウエー学生会館の先にある1959年竣工のブラジル学生会館に向かいます。この建物はブラジリアを設計したブラジルの建築家ルシオ・コスタ(Lucio Costa)とコルビュジエの共同設計との事ですが、ピロティや縦割りの窓、ラ・トゥーレット修道院を連想させるような東側のファサード等、コルビュジエの手法が色濃く出ている建築に見えました。表示板の字もコルビュジエによるものではないでしょうか。前日のロンシャン礼拝堂の窓ガラスの文字の字体とそっくりです

ブラジル学生会館のHPには、昔一緒に仕事をした縁でルシオ氏がコルビュジエに声をかけたところ、コルビュジエがオリジナル案を自身でどんどん変更して作ってしまった経緯の説明がありました。確かにコンクリート打ちっぱなしの力強いピロティなどそうした意気込みを感じさせます。コルビジェ後期の荒々しいコンクリートの使い方がその30年前のスイス学生会館と比較出来るのが面白いところです。ブラジル学生会館はコルビュジエにとってパリでの最後の建築です。

左手がエントランス

そのピロティの下を通り入口に来ると、ドアに「今日は撮影の為臨時に閉めています」の張り紙が有りがっかりです。しかし、ちょうど管理人の人が通りかかったので「遥々日本から来たので何とか中に入らせてくれないか」とお願いしたところ、ちょっとロビーの写真を撮るだけならOKとドアを開けていただけました。急いで中に入ると、照明がないからでしょうか天井も低いので中は少し暗い感じですが、予想しなかった周りの窓の色ガラスがとても綺麗に見えます。柱もカラーリングされているようです。ブラジルの国のカラー黄色が目立ちます。1997年から数年間コルビュジエ財団監修の元、大改修をしたカ所の写真のパネルもありました。本当はこれらを参考にゆっくり見られたら良かったのですが。

それで明るい方へと歩いていくと、丸いオブジェが外に見えるところに来ました。そこではピロティ上部も見えて建物を直に感じられる面白い構図です。隣には休憩スペースがありますがそちらは天井に丸い穴が開いて外から光が入ってきます。のぞくと建物が迫ってきます。この共用部はピロティの下を横切って両サイドにアメーバーのように伸びています。その面白いエリアを少しでしたが体感できました。更にはジャン・プルーヴェ(Jean Prouvé )が手掛けた小ホールや改修前のシャルロット・ペリアン(Chariotte.Perriand)デザインの一室が保存されているとの事で見てみたかったのですが、これらはまたの機会となりました。

手前が小ホール、ベランダも各階カラーリングされている。

オ・ザンファンのアトリエ(Atelier Onzanfant 1924

今日は終わりにパリ国際大学都市近くにあるオ・ザンファンのアトリエまで足を延ばしました。こちらはコルビュジエにとってパリでの初めての建築です。モンスリ公園を抜け1873年に完成した大きなモンスリ(Montsouris)地下貯水場の脇を進むと左手の角地にこれだと直ぐにわかる二面が大きな窓の建物が見えてきました。

現在の建物は屋根と一階が改修によりオリジナルより変わっているとの事。特にアトリエの天井は全面ガラスのトップライトで二面の大きな窓と共に大変明るいアトリエだったようです。それは残っている大きな窓からでも想像できます。向かい側にあるモンスリ貯水場の温室のようなガラス張りの建物を意識したかのようです。

ここでのオ・ザンファンとの芸術的活動がその後の芸術家そして建築家のコルビュジエを決定づかたのではないでしょうか。二人で創刊した雑誌“エスプリ・ヌーボー(L’ESPRIT NOUVEAU)でペンネーム”コルビュジエ“が登場しますね。

モンスリ貯水場 1873年