フランス ル・コルビュジエと現代建築の旅

F-1.ロンシャンへ

6日目の今日は、いよいよ旅のハイライトの一つロンシャン礼拝堂(Chapelle Notre-Dame du Haut)を訪ねます。そして午後はベルフォールを少し散策し夕方TGVでパリに向かいます。

ロンシャンへのアクセスとしてはロンシャン駅までの電車利用が考えられますが、電車の本数が少ないので途中駅からタクシーを使われる方が多い様です。私は礼拝堂へは周囲も散策しながら向いたいと思いロンシャン駅までの電車利用にこだわりました。そして、ちょっとした裏技?でそれを実行しました。

まずベルフォール820分発のIC1742で、ロンシャンを通り過ぎて次の停車駅リュール(Lure)まで行きます。インターシティ(IC)列車はロンシャン駅には止まりません。次にリュール852分発のTER94413ロンシャンまで引き返し9時過ぎロンシャン駅に到着します。

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ホテルを出ると目の前がベルフォール駅です。早朝、朝日を浴びた駅舎を見るにどこかアールデコ調で中々趣があります。この駅舎は1934年竣工との事ですから、パリの”コルビュジエのアトリエ”と同じですね。

 

朝のベルフォール駅

ホームに着くと、昨日のバーゼルの信号所が強烈な印象だったこともあり信号所らしき建屋に目が行きます。ベルフォールは鉄道の要所の駅であることが分かります。と言いますか隣接して機関車製造工場があり、確か昔TGVはベルフォールで製造されていたと思い出したところ、今でもそうなのでしょう、駅につながる工場らしき所に目新しいTGVが止まっていました。

パリ行IC1742はベルフォール始発なのか列車は既にホームに入っていました。機関車牽引の昔懐かしい車両編成です。一等車の座席はクッションもよくこのままパリまでいってしまいそうですがそうは行きません。次の停車駅リュールで下りて電車でロンシャンまで引き返します。

IC1742と信号所(ベルフォール駅にて)

両連結の電車はリュールを出ると直ぐにロンシャン駅に到着しました。他に降りる方はいません。というか電車には殆ど人が乗っていませんでした。

ロンシャン駅は1858年開設の歴史ある駅で当時は二階建ての駅舎が有ったようですが、今は無人駅で駅舎らしきものは見当たりません。ホームの連絡橋の上から電車を見送った後には静けさだけが残っています。人影もなくこれはフランスのかなり田舎に来たなと感じます。それで遠く教会の尖塔が見える街の方に、コルビュジエ通り(Rue de Corbusier)を進む事にしました。

 

ロンシャン駅に着いたTER94413

見えてきた街並みは古くがっちりした建物が多いい様です。日前に訪れたローヌアルプ地方とは文化圏が異なる事も感じます。

ロンシャン礼拝堂への道は、車も通るシャペル通り(Rue de la Chapelle)が良く知られています。徒歩の場合それに加えて“十字架の道”(Chemin de Croix)といわれる山道もある様です。ただ歩いても標識も見当たらず、15分程度でシャペル通りへ曲がるところまで来ました。

尚、7ー8月は駅から礼拝堂まで15分のシャトルバスが30分間隔で運行される事がロンシャン礼拝堂のHPに乗っていました。

ノートルダム教会(左)とツーリスト・オフィス

右手にツーリスト・オフィスを見つけ中に入ってみます。この地方を紹介したパンフレットがいろいろ置いてあり、ざっとでも見れはロンシャンの様子がわかってきます。Wi-Fiも使えるのでここで一息つくのもよいかもしれません。

昔は炭鉱で栄えた地域の様です。近くに炭鉱博物館(Musée de la Mine)があります。

またオフィスの裏手には1864年建設されたノートルダム教会(É glise Notre-Dame-du-Bas)が有ります 。当時荒廃していたロンシャンの丘に当たるブールモントの丘(Colline de Bourlément)の教会の再建として新たにここに作られたネオ・ゴシック様式の教会です。炭鉱事故の葬儀に良く使われたとかでこの地方の当時の状況が分かります。中の装飾は建設当時の物が多く残っているそうで、コルビュジエのロンシャンの礼拝堂以前の教会の様子を知る手掛かりになるかもしれません。

ロンシャンの“十字架の道”は1890年頃、キリストのゴルゴダの丘への十字架の道に倣って、途中14カ所の十字架のモニュメントが設されかれ、祈りを捧げながら丘の上の教会に向かう信仰深い巡礼の道のようです。ただ今日十字架は一部が残っている程度でむしろ近道として利用されているらしいのですが、状況が今一つつかめず、間違いないシャベリ通りを行くことにしました。

“十字架の道”はロンシャン駅からの下り道が終わると直ぐに左に入りエガリテ通り(Rue de l'É galité)を墓地を左に見ながら進んだ先、最後は丘の上の駐車場近くに出るようです。

鉄道の高いアーチ状のガードをくぐりシャぺル通りを進みます。遠く丘の上にロンシャンの礼拝堂の一部が見えてきました。ロンシャンの丘(ブールモントの丘)は標高472mで麓からは約120mの高低差があります。道はこれを右に大きく迂回して頂上に至っており、なだらかな坂道が続きます。天気も良いし車も来ないのでハイキングといった気分、しかもロンシャンの礼拝堂に向かっているとなると足は自然に軽くなります。

セント・マリア抗

少し歩くと右手に19世紀の石炭採掘の立坑の塔が遺跡として見えてきました。石炭を積んだトロッコもそばに展示されています。ここはセント・マリア坑といわれ、その名はロンシャン礼拝堂(聖マリア)からつけられたのでしょう。

調べると当時最初に試掘されたのはロンシャンの丘の方でした。でも丘では石炭は出ず、ここで見つかった様です。もし丘で石炭が出ていたら、その後のロンシャンの丘もどうなっていた事でしょう。何も出なくて良かった。

20分程度歩いて丘の上に到着です。整備された広い駐車場が見えてきました。

右手には礼拝堂へ続く正面ゲートがありましたが扉は閉まっていました。

ふとゲートの右下の石垣にあるプレートに目が行きます。中央には十字架のモニュメントがはめ込まれています。“十字架の道”にある十字架と同じ形のようです。これが15番目の十字架とすると、最近の解釈では、“十字架の道“14番で埋葬されたキリストが15番で復活する大事な十字架となります。十字架の右には、第二次世界大戦中194410月フランス軍のパラシュート部隊らがドイツ軍からこの丘を奪還し自由をもたらした事を記述したプレート、その少し前にドイツ軍により前の礼拝堂が破壊されています。左側には旧約聖書(イザヤ書)の一節が刻まれています。「剣を鋤に、槍を鎌に、、、」戦いを止めて平和をといった意味なのでしょうか。

大変な戦争を経て、やっと勝ち取った自由、平和の尊さとそれが続く事への地域の方々の思いを感じました。プレートの奥に目をやると、木々の間から礼拝堂が少し見えています。